兄弟を議せざるを賜え

~聖エフレムの祝文から~

2021年3月のメッセージ

司祭グリゴリイ水野 宏

シリアのエフレム

主吾が生命の主宰よ、怠惰と愁悶と凌駕と空談の情を我に與うる勿れ。
貞潔と謙遜と忍耐と愛の情を我爾の僕に與え給え。
嗚呼主王よ、我に我が罪を見、我が兄弟を議せざるを賜え、蓋爾は世世に崇め讃めらる。
(シリアの聖エフレムの祝文)

いきなり日本正教会訳の難読な祈祷文を掲げて恐縮です。これは大斎期間(Great Lent)の平日の祈祷の中で唱えられる重要な祈祷文です。
この祈りは神に呼びかける形で、怠けたり、他人に干渉したがるような罪から自分を遠ざけ、謙遜や愛といったキリスト者としての善なる心を与えてくれるよう願う内容です。

この祈りを唱えた聖エフレムは4世紀のシリアの人物です。
彼は若い頃、我がままで喧嘩っ早い性格だったのですが、それが災いして無実の罪を疑われ、投獄されてしまいました。そして獄中で、自分をこんな目に合わせた人々への怒りと憎しみの念を持ち続けていました。
しかしある夜、夢の中で「今のお前の境遇は、お前の過去の罪の結果だ。自分がこれまでしてきたことを振り返って見るが良い」とのお告げを受けました。
そこで他人を憎むのを止め、自分の過去を悔い改めるように努力を続けているうちに、彼の潔白も証明されて釈放されることになりました。
出獄した彼は隠遁修道者となり、生涯を祈りと弱者救済に捧げました。

聖エフレムの祝文の中で最も重要な個所は「我が兄弟を議せざるを賜え」、つまり「私に他人を裁かせないでください」という文言です。
この祈りが唱えられる大斎は、復活祭の前の約7週間にわたり、祈りと斎(動物性食品の摂取を控えること)を通して、自分が主の復活を迎えるにふさわしい者となるよう準備する期間です。古代教会からのキリスト教の伝統的習慣です。
もちろん、これは形式的にやっていることではなく、自分自身のこれまでの思いや行動を見つめ直し、悔い改めるのが目的です。しかし、もし自分の罪の赦しを神に願っていながら、自分は他人の落ち度を裁き、赦さないと言っていたら矛盾してしまいます。
人の価値観は人それぞれである以上、最終的に人の罪を裁き、赦す赦さない、つまり天国に入れる入れないを決める権限は神にあるのであって、個別の人間にはないからです。

この「自分の価値観で他人を裁いてしまう」危険は、いい加減な人よりむしろ、信仰に篤い(と自分で思っている)クリスチャンの方が陥るおそれが高いかも知れません。
だからこそ、どんなケースであれ、他人をどうこう批判する前に自分はどうなのか、他人を批判できる資格があるのか、冷静かつ客観的に自分自身を見つめるよう努力することが大切だといえます。
自分の中でこれが実現できれば、他人への怒りや恨みや憎しみを持ったところで自分には無意味ということになるので、そういった他人へのネガティブな感情の「囚人状態」から解放されるという、いわばメリットが得られます。
これは信仰の如何に関係なく、全ての人に当てはまることと考えます。聖エフレムの祝文に習って、他人を裁いて自分が縛られないように目指してみませんか?