聖人の転達とは

~前駆授洗イオアン(洗礼者ヨハネ)誕生祭にあたって~

2021年7月のメッセージ

司祭グリゴリイ水野 宏

7月4日、私が住む人吉が未曽有の豪雨災害に見舞われて1年となります。
あの時は全国の多くの皆様からご支援を賜り、今も感謝の念に堪えません。
大きな被害を受けた人吉市中心部は、被災した建物の再建がようやく始まった段階であり、今もまだ休業中の店舗や事業所ばかりの状態です。
メディアも社会もコロナやオリンピックの話題で持ち切りのような印象ですが、私たち被災地住民にとっては復興こそが最優先事項です。
今後も皆様のご支援とお祈りをお願い申し上げる次第です。

さて、わが国で7月7日は伝統行事の七夕の日ですが、私たち日本正教会にとって7月7日(ユリウス暦の6月24日)は、ヨルダン川においてイエスに洗礼を授けた預言者・前駆授洗イオアン(洗礼者ヨハネ)の誕生祭です。
正教会には多くの聖人がいますが、その祭日(記念日)は概ね永眠した日が指定されます。その人が永眠した後、聖人に相応しいかどうか、全生涯を検証した上で列聖するのですから、ある意味自然な流れです。
しかし、イエスの母・生神女マリヤと前駆授洗イオアンは、永眠だけでなく誕生も記憶されます。この二人は神から特別な役割を与えられて生まれてきたと教会は考えるからです。その役割とは、マリヤは目に見えない神を目に見える人間としてこの世で生むこと、イオアンはキリストに先駆けて、人々に救いが近づいたと告げ知らせることです。
正教会がイオアンを、イエスに洗礼を授けた「授洗」(the Baptist)に加えて、キリストの先駆者「前駆」(the Forerunner)と呼ぶのも、そこに理由があります。

ルカによる福音書第1章の記述によれば、イオアンの父はエルサレムの神殿の祭司ザカリア、母はエリザベトで、ともに信仰に篤くて非の打ちどころがない人物でしたが、老齢になっても子に恵まれませんでした。
そのザカリアのもとに天使ガブリエルが現れ、彼らに男子が授かること、その子をイオアンと名づけるべきこと、そしてその子は将来、「イスラエルの多くの子らをその神である主のもとに立ち帰らせる」(ルカ1:16)ことを告げました。
ちなみに聖書に記述はありませんが、生神女マリヤの父はヨアキム、母はアンナといい、ともに信仰に篤いが子に恵まれない夫婦でした。そこに天使ガブリエルが現れて娘が授かると告げたのですが、このイオアンの誕生と共通するエピソードは、上述のように二人が神から特別な役割を与えられて生まれてきた証しであると考えています。

イオアンは成人した後、荒野で厳しくストイックな生活をしながら、人々に「悔い改めよ。天の国は近づいた」(マタイ3:2)と説き、ヨルダン川で「罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝え」(ルカ3:3)ました。そして、到来する救世主とはイオアンが自分自身のことを言っているのではないかと人々が思った時、「私よりも優れた方が来られる。私はその方の履物の紐を解く値打ちもない」(ルカ3:16)と言いました。つまり自分は救世主ではなく、あくまでも「前駆」の役割であって、これから来る方が真の救世主だと予告したのです。

以上のことから、生神女マリヤは「キリストを生んだ者」、前駆授洗イオアンは「キリストに導く者」という意味で、あまたの聖人たちの中で最もキリストと密接な関係にあると位置づけられています。
冒頭に掲げたイコン「デイシス」(転達。「とりなし」の意味)はその考えを反映するもので、中央のキリストに向かって左右から生神女マリヤと前駆授洗イオアンが、一生懸命に人々の願いを取り次いでいる姿が描かれています。

正教会では多くの聖人がいると書きましたが、聖人は日本の伝統的な宗教観のように「死者を神仏として祀る」ものではありません。これまで「正教会はカトリックみたいにマリヤ信仰ですか」という珍妙な質問を何度も受けてきましたが、カトリック教会でも正教会でもマリヤは人間であって、信仰の対象である神ではありません。
聖人はあくまでも神に造られた人間の一人であり、生前の「生き方」を通して模範的な信仰を示したから「聖人」として敬っているのであって、仮にどんなに立派な人だったとしても、死んで神になることはあり得ないとキリスト教は考えます。
そして私たちが聖人たちに求めているのが、上記の「転達」です。
聖人は全て、「既に永眠した人」です。ということは聖人は、この世に生きる私たちより「一足早く天国にいる人々」でもあります。
そこで信者である私たちは、直接神に祈るのは当然として、天国にいる聖人たちにも「私の祈りを神によろしく伝えてください」「私のために天国で一緒に祈ってください」とお願いすることで、自分の祈りを補強するという考えに繋がっているのです。
これが転達の意味であり、教会が神でない聖人たちに祈りを捧げる理由です。

わが人吉ハリストス正教会の聖堂は「生神女庇護聖堂」、つまり私たちを苦難から護ってくれるよう、神に転達してくださっている生神女マリヤを記念した聖堂です。
災害から1年を迎えた人吉が、神に護られて復興の道を歩むことができるよう、いつも転達を求めて生神女マリヤに祈っています。