五千人の給食が意味するもの

2021年8月のメッセージ

司祭グリゴリイ水野 宏

ピエール・ビタール「5000人の給食」

年間第8主日(今年は8月15日)の聖体礼儀では、マタイによる福音書14章から「五千人の給食の奇蹟」の記事が読まれます。これはイエスが手元にあった5つのパンと2匹の魚を五千人の群衆に配り、全員を満腹させた出来事です。
新約聖書の福音書は4巻あることはご存じのとおりですが、4巻に共通して書かれているエピソードは意外に多くありません。例えばイエスの降誕の場面はルカ伝にしか書かれていませんし、イエスの洗礼や変容はヨハネ伝には書かれていません。
とりわけ、イエスの十字架への道の第一歩であるエルサレム入城以前の出来事で、4巻に共通して書かれているのはこの五千人の給食の奇蹟だけなのです。キリスト教において、この奇蹟の示す意味がいかに重要か、お分かりになるでしょう。

この奇蹟は何を象るものだったかについて、ヨハネによる福音書6章でイエスは弟子たちに、次のようにちゃんと説明しています。
「私は天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる」(ヨハネ6:51)
「私の肉を食べ、私の血を飲む者は永遠の命を得、私はその人を終わりの日に復活させる」(同6:54)

しかし、イエスがこう言った時点では「イエスの肉を食べ、血を飲む」ということの真の意味は伝わりませんでした。一般論として、人の肉を食べたり血を飲んだりするという発想はおぞましいものですが、それに加えて律法(レビ17:11)では生き物の血を口にすることを禁じていますから、ユダヤ人である弟子たちには到底受け入れがたい言葉でした。その結果、多くの弟子が「実にひどい話だ。誰がこんな話を聞いていられようか」(ヨハネ6:60)と言って、イエスのもとを去ってしまいました。

この真意が示されたのは、イエスが捕らえられて十字架につけられる前夜、12人の弟子たちと囲んだ晩餐の時です。
イエスはパンと葡萄酒を取って、五千人の給食の時に行ったのと同じように、天の父に讃美と感謝の祈りを捧げました。そして弟子たちに与えて言いました。
「取って食べなさい。これは私の体である。…皆、この杯から飲みなさい。これは罪が赦されるように、多くの人のために流される私の血、契約の血である」(マタイ26:26-28)
つまり、五千人の給食の時の「私の肉を食べ、血を飲む」という言葉は、この晩餐の席で示された「聖体機密」を通して、パンと葡萄酒から聖霊によって変化したキリストの体と血、すなわち聖体をいただくという意味だったのです。
このことから、この晩餐を正教会では「機密制定の晩餐」と呼びます。

以上の聖書の記述から、正教会では初代教会以来、聖体機密が行われる典礼、すなわち聖体礼儀を何よりも大切に守ってきました。主が復活した曜日、すなわち日曜日に教会に集まり、主の受難と復活を記念して聖体礼儀を行い、そこで聖体に与ることが正教会の信仰の基本と言っても過言ではありません。
洗礼を受けた信者の方はもちろん、洗礼を受けていない方も、皆さんがこの聖体礼儀の意味を理解し、参祷いただければ幸いです。