真のクリスマスプレゼント

~キリストの降誕の意味~

2021年12月のメッセージ

司祭グリゴリイ水野 宏

イコン「主の降誕」

わが国はキリスト教国でないにもかかわらず、この時期はどこに行ってもクリスマスの飾り付けがきらびやかになされています。そしてクリスマスイブともなれば、プレゼントを贈り合うのが「お約束」と言ってもいいでしょう。

さて、正教会の降誕祭の聖体礼儀で読まれる福音書の箇所は、イエスがお生まれになった場面(ルカ2:1-20)ではなく、ベツレヘムで生まれたイエスのもとに東方の三人の博士が訪ねて来て、三種類の贈り物を献じた場面(マタイ2:1-12)が読まれます。ちなみにルカ伝の方は「降誕祭前日」の聖体礼儀での朗読箇所です。
つまり、幼児が生まれたという出来事以上に、三種類の贈り物の方に重要な意味が示されていると考えるわけです。

この三種類の贈り物とは、黄金・乳香・没薬(もつやく)です。この乳香(frankincense)とは中近東原産の木の樹脂で、火をつけて良い香りの煙を焚くためのものです。また没薬(myrrh)とは別の木の樹脂で作った香料です。
これが意味するのは、高貴な人が身に着ける黄金は「王」に対して、祈りの時に焚く乳香は「神」に対して、死者の葬りで遺体に施す没薬は「人」に対して献じられたものと、正教会では理解しています。つまりイエス・キリストは「万物の王であり、天地を創造した崇められるべき神が、いつか死ぬ人間となってこの世に生まれてきた方」だということが、この三つの贈り物に示されているのです。
いわば「最初のクリスマスプレゼント」が贈られたわけですが、それを贈った東方の三博士は異教徒だったにもかかわらず、生まれてきたイエスが何者かを理解していたわけです。

しかし私たちクリスチャンが忘れてはならないことは、私たち人類共通の真のクリスマスプレゼントは「降誕したキリストご自身」だということです。
もし神が目に見えない存在のままならば、「神を見たことがないから、自分は神を信じない」という理屈も成り立ちます。しかし、その見えない神がわざわざ目に見える人間となってこの世に来られ、実際に生きている姿、十字架上で死んで葬られた姿、そして死から復活して現れた姿を、使徒たちをはじめとする当時の人々に見せてくださいました。それによって私たちは神の実在と、人が地上の死を経て復活することは、フィクションでないと知ることができたのです。

わが国では大の大人でも、クリスマスは年末のお祭りであって、「イエス・キリストの降誕を祝うキリスト教の祭日」だと知らない人が少なからずいると聞きました。もちろん、キリスト教を信じる信じないはその人の自由ですから、教会の側がそれを問題にすることはしません。しかし、私たちクリスチャンは降誕祭を迎えるにあたって、それが単なる年末のお楽しみイベントなのではなく、イエス・キリストご自身が神から人類に贈られた真のプレゼントだということを、再認識するように努めたいと考えています。